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創業より受け継がれる日精DNA、絶え間なく続く研究開発の歴史

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創業ものがたり

私たち日精樹脂工業の歴史は、世界的なプラスチック産業界の巨星といわれた今は亡き青木固(あおきかたし)が戦後の焼け野原で一枚のアクリル樹脂板と出逢った時に始まりました…。
終戦後、旧満州から引き揚げ、東京のいとこの家で世話になっていた昭和21年のある日、いとこの友人が、「これ、何だか知っているかい?」と、色のない透明なガラス板のようなものを見せてくれました。その板は、軽くて、手触りが滑らかで、冷たくない。ガラスのように鋭く割れることがなく、温めるとやわらかくなり、冷やすと固くなる。その感触に青木はたちまち魅了され、そのプラスチックの板に無限の可能性を感じます。そして、この時からプラスチックの成形技術の追求が始まります。
翌年の昭和22年、青木はさっそく故郷である長野県坂城町に戻り、実家の鶏小屋を改造した小さな工場でくつべら等のプラスチック成形加工を業として始めました。それからは成形加工法の研究に没頭すると同時に成形機の開発にも取り組みました。そして10年後の昭和32年、自社用に開発していた成形機を、本格的に製造販売を開始するようになりました。それからというもの独自のアイディアで数々の技術開発を行い、多くの特許も取得し、オリジナリティあふれる成形機を次々と開発していきました。1983年には世界初の電動成形機を開発するなど、技術開発の勢いは留まることを知らず、2006年には成形機メーカーとして業界初の生産販売台数10万台を突破しゆるぎない地位を獲得、現在も市場で稼動するNISSEI成形機の総台数は増加の一途をたどり堂々の業界NO.1メーカーとして認知されています。

脈々と受け継がれる日精スピリット

私たち日精樹脂工業は、0(ゼロ)から射出成形法の研究をはじめ、創業よりひたすら射出成形に特化して研究開発を続けてきました。そのため、『マイナスの発明』『狭く、深く、そして広く』など、独自の研究開発姿勢が培われていきました。現代でもこの姿勢は変わらず、「いかに簡素化し、性能を向上させるかを考える」「現在を超えるためには現在に惚れていてはいけない。それを否定する事により超えることが可能となる。」という形で脈々と受け継がれています。私たち日精樹脂工業は、これからも独創性あふれる研究開発を続けていきます。

新たな価値を生み出す研究開発

私たち日精樹脂工業の歴史は「技術開発の歴史」でもあります。創業の精神を受け継ぎ、不易流行により成形の理を追求し、お客様の想いに応える姿勢で数々の技術を研究し開発してきました。近年、市場は省スペース性が重視され、当社は成形機のダウンサイジングに取り組み、また脱炭素化社会の実現に貢献すべく、環境対応素材の成形機に力を入れ取り組んでいます。開発事例として圧倒的な低床を実現した竪型成形機は、生産現場の作業性を飛躍的に向上させたことで、それまでの業界の常識を覆しました。またIoT技術を駆使し成形条件の自動化、成形機保守管理のリモート化へ対応、可塑化診断ソフトなど成形機をIT化する技術開発はさらなる進展の一途をたどっています。現在は環境問題が世界規模で共通課題となり、脱炭素化に加えマイクロプラスチックによる海洋汚染などプラスチックを取り巻く環境は大きな転換点を迎えています。当社における環境対応の歴史は古く、それは1973年まで遡ります。当時はオイルショックにより世界が混乱した時期で環境対応は当社の使命として事業から切り離せないミッションとなりました。それから半世紀近くもの間、長きにわたり取り組んできた成果が現在のPLA(ポリ乳酸、植物由来の環境対応素材)成形として実を結び、世界が直面する環境問題の解決に向け、当社の成形技術は大きな注目を浴びています。

(掲載写真は本社にある創業者の故青木固氏銅像)

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